1歳5ヶ月のこどもを乳児院に預けた話

4月末。自分の手術のために娘を7日間、乳児院に預けた。手術をしなきゃいけないのはもう随分前からわかっていたことで、娘の離乳や休みの兼ね合いで時期を決めようということになっていた。

実は一年前も同じ病気で入院手術をしたが、その時は旦那が転職前の有休消化中だったので、離乳食を始めて1か月のタイミングで3泊4日、旦那に娘を見てもらった。本来6日くらい入院するところを先生が気を利かせてくれ局所麻酔にし、早めに帰宅した。が元々カフェインやらアルコールの効きやすい体質で、麻酔もまぁ、効いた。お迎えはなかったから自力で帰宅したものの、ふらふらで、とても家事できる状態ではなかった。

そんなこともあり、今回は少し回復を待ってから退院しよう。去年は娘もハイハイもまだの赤ちゃん、1日の睡眠時間も長かったけど今は違う。外に連れてけ、ギャー!、、、めまいの残る中、ワンオペでは無理である。

もちろん旦那に託す選択も考えたが、娘のご飯事情を知らない、お茶の作り方も知らない旦那から、入院中LINEの嵐が来るのか…考えるだけでしんどかった。旦那は仕事を休めない。旦那に見ててもらうと言っても旦那の赴任先の知らない保育園に娘を預けることになる。旦那は慣れない育児、送り迎えに疲れ、私が退院する頃にはソファーに横たわっているだろう。娘も環境の変化で体調を崩すかもしれない。私も本調子ではない。地獄のGWになる…と思ってしまった。

なので手術の2ヶ月ほど前に市役所のこども課へ行き、乳児院について相談した。旦那が単身赴任で四国にいて仕事も休めないこと、実家東京、義母(義両親は離婚している)は精神を患っているそうで一度も会ったことがないこと等を話すと、乳児院の空きさえあれば預けられる。今から探してみますねとすごく親身になってくれた。市の提携の乳児院は8箇所くらいあったがどこもそこそこ遠く、また見学が必要だったり1歳児はNGだったり、様々な条件があった。すぐに探してもらえてありがたい。ダメだったら、また考えるしかない…パーティションを叩いて倒そうとする娘を抑えながらそう思っていたら、「1箇所空いている施設が見つかりましたよ〜」と。

少し遠いが、持ち物は母子手帳や保険証くらいで着替えオムツは用意しなくていい。あとはお気に入りのおもちゃや、何か安心できる物は持ち込み可というその施設にお願いすることにした。費用はご飯込みで1日5300円ほど。お風呂も入れてくれるし何かあれば病院にも連れて行ってくれる。卒乳を試みているがなかなかうまくいかないことや、預けるまでにしておくべきことはあるかの相談をしたところ「無理に断乳しなくても大丈夫です。預ける日まではいつもと変わらない生活をしてください。こちらではお子さんができるだけ不安にならないようにします。お母さんは手術頑張って来て下さいね」と優しく言ってくれた。ひとまず、生活は変えずに毎日娘にアンパンマンのカレンダーを見せ、「この日からママとバイバイしてお友達と生活するからね。この日にお迎えに行くから待っててね」と言い聞かせた。まだ1歳。日付感覚はないだろうが、突然別れるよりは話しておく方がいいかと思った。娘は毎度アンパンマンを指さして「パンパン」と言っていた。

預けの当日、お部屋に入るなりアンパンマンを見つけて娘はニコニコ。しかし係の人がくると警戒した顔つきになる。アレルギーはあるか、何が好きか等を聞かれ、書類も記入。抗体検査をしなきゃいけないのだが、察しのいい娘は大暴れでできず。係の人も「今は無理そうなのであとで頑張りますね。院にあるお洋服に着替えるのだけ手伝ってもらえますか?」と苦笑い。着てきた服もお迎えの時にまた着て帰るなら置いておいてよいと言うのでそうしてもらい、私はそこで娘とバイバイした。

預けてから3時間ほどして電話が来た。持参した保湿剤が残り少ないので、なくなったら院にあるワセリンを使用してもよいか?という内容だった。また「別れてから少し泣いていたが、お昼ご飯はバクバクと食べました。食べたら眠くなったようで抱っこしたらもたれかかるようにしてすぐ寝てしまい、今はスヤスヤです」と教えてくれた。また何かあったら連絡するとのことだった。

その次の日に私は入院。入院の次の日に手術し、術後4日目で退院した。その間乳児院からの連絡はなかった。できるだけ早い方がいいかと思ったので退院したその足でお迎えに行った。身体は本調子ではないし、乳児院も遠かったけどそこは頑張ってみた。(頑張った結果、疲れてノイローゼ気味になる未来の話はまた別でします。)

乳児院につくと、係の方が笑顔で迎えてくれた。私の大荷物を見て「退院した足で来てくださったんですか!大変なのにありがとうございます。娘ちゃんも喜ぶと思いますよ!呼んできますのでお待ちください~」と待合室に通してくれた。娘との再会は謎に緊張したが、程なくしてお昼ご飯を食べ終えた娘が保育士さんに抱っこされてやってきた。娘は私をみるとふにゃっと一瞬泣いた。が、私が2,3分抱っこしたら寝てしまった。その状態で、預けている間の様子を聞き、日誌のコピーも頂いた。お支払いを済ませ、電車に乗って帰宅した。帰宅した。とサラッと書くとなんともないが、実際は電車に乗る際目が覚め、車内で活きのいい魚化する娘をなだめ、電車を降りたら今度は抱っこ紐を抜け出す娘と荷物を抱えながら娘のお気に入りのパンを買って帰るのは本当にハードだった。多分万全の体調だったとしてもしんどいやつ。私は二人目産む資格はなさそうだなと自分のキャパの狭さを再認識した。

家に着くと娘は割と機嫌はよかったが、甘えんぼには拍車がかかっていた。この際卒乳できるかと思っていたが、家に着いた瞬間「ぱい!」と言われその夢は散った。私も入院初日は搾乳したが、手術で食べられなかったこともあり、ほとんど出なくなっていた。それでも娘はおしゃぶり感覚でずっと吸っていた。私もまあ我慢させてたし…と許していたが、さすがに一時間近くされると、トイレにもいけないしたまに歯がしっかり当たって痛いし、手術しているところも痛むしで内心イラっとくるところもあった。しかし授乳させながらもらった日誌のコピーを見て、娘が小さいながらに環境に順応しようとしていた様子や、院の保育士さんたちの愛情にしみじみとしていた。自分以外にしっかり娘をみてもらえてよかったと思った。娘は偏食だったが、「大学芋が気に入ったみたいでおかわりし、他の野菜も食べられました」とか、「時々不安になると大人に寄ってきて膝の上に座りにくるけど、おかあさんといっしょの新しいお兄さんが映ると目をキラキラさせていました」(かずむお兄さん派だったのが判明(笑))とか、「お友達と仲良く遊んでいたけど、振り向いたときにぶつかってしまい、おでこが少し赤くなった」とか。旦那に預けても絶対出て来なかった話の数々。私と二人で児童館や支援センターに行ってもなかなか私から離れなかった娘がちゃんと他人に関わり行ったんだなと娘の急成長を感じた。

最初知らない場所に預けるのは娘への申し訳なさだったり、不安も多かったのだが今では預けられてよかったと思っている。もちろん預けたからこそ、そのあと少し甘えんぼになってしまった部分もあるけど、私自身は「私が産んだから。私が見てないと不安がるから。卒乳できていないから。まだ一歳だから。私がいないといけない」と感じていたところが少し軽くなった。色んな育児本を読んでも幼少期の親との関わりが大事、みたいなことが書かれているのでいい親でいなきゃ、しっかり見なきゃと重荷に思っていたが誰かに頼ってもいいんだとホッとした。

もし乳児院、子どものショートステイを利用してみたいけど悩んでいるという人がいたらぜひ、まずは相談をしてみてほしい。この体験がそのきっかけになればと思う。

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